かわべそうこのCurious Heart 

Writing about Books, Music,Movies,and Life so on.Everyday life is full of Curiosity!

恋愛のパワーってやっぱりすごい

先月の金スマ浜崎あゆみの話題の著書「M」について取り上げられていて、懐かしい気持ちで見入っていた。

あの頃。恋愛に友達関係に、学校の勉強に、趣味になんでも夢中だったわたし。小室哲也が手掛ける人気アーティストの歌、宇多田ヒカル、そして浜崎あゆみのヒット曲をレンタルCDショップで借りたり、お小遣いでアルバムを買ったりして歌詞をくちづさめるまで聴いた。テレビの音楽番組も今より絶頂期で毎週観ていた。

「あゆは~」なんて、テレビでいい歳して軽い口調で話していた浜崎あゆみだけど、その歌詞は深いなぁ、とはいつも思っていた。歌詞は「僕」で一人称視点で歌っているから、誰に向けている歌?あゆが想像して書いている歌?よくわからないけれど、いい歌詞だな、と思って聴いていた。

 

それが、著書「M」によると、あの頃のヒット曲はすべて、ひとりの男性に対する本当の気持ちを歌ったラブソングだというのだから、それを知って久しぶりにまたあゆの歌を聴いてみたくなって、spotifyで「This is the 浜崎あゆみ」を流していると、純粋なラブソングの持つパワー、その彼女の歌声にばーんっと心が突き動かされた。最近って、恋愛の歌ってそんなに聴かなくなってきたし、そもそも恋愛ばなれの風潮もあって、壮大なエールとか、人間愛とか、そんな歌の方がよく耳にするような気もしてるが(どうなのかな・・・?)やっぱりさ、恋愛のパワーって特別だと思う。みんなに向けてじゃなくて、自分が恋し愛しているひとりの相手に向けて歌う歌って、純粋で甘くて、苦くて、さみしくて…そんな胸の中の思いを表現する恋愛の歌はやっぱりいいよな~って、昔の甘酸っぱい恋愛の思い出がよみがえってきて、くすぐったくなる。

 

恋愛の歌って、やっぱりいいな。好きだな。

って、話題になって聴き直すだなんて、ミーハーなんだけど、あゆの歌をカラオケで熱唱したくなる今日この頃。

 

 

友達友達っていうのも・・・

ちょっと余裕ができると(?)夫のあれもこれもが気になりだして、すべてが気に入らない、みたいなスイッチが入ることがある。その一つが、夫には飲み友達が私の知る限り一人しかいない=友達が少ない、ということ。

もともと、寡黙なタイプの夫なので、社交性は低いのはわかっていた。でも、結婚して子どもができて私は主婦になり、子どもの幼稚園や小学校のつながりで近所のたくさんのママ友ができ、(以前は、同じく友達が少ない私だったのに!)仕事にも就き、仕事関係でもランチしに行ったりする友人ができ、結婚して11年で確実に交友関係が広がった私に対して、夫にはこの10年、いや11年で新しい友人というのができていない!

それって、どうなの??普通さぁ、10年もあれば色んな人に出会う機会だってあるわけだし、新しい友人ができたりするものなのではないの・・・?仕事を通じてでも、年賀状のやり取りをするとか、一緒にバーベキューをするでもいいし、家族ぐるみでなくても、「ちょっと最近仲良くなった友達と飲んでくる」みたいな話が出てもいいと思うのに、数か月に1回「飲みに行く」となると「Yさんと?」「そう、Yと。」会社の飲み会もそこそこちゃんと出る、というか、私から「たまにしかない、会社の飲み会には、時々はちゃんと行って、楽しく飲んで、コミュニケーションとってきなね。」どうしようかな…と迷っているようなときは、「行ってきなよ~!」と背中を押してやっているのだが、プライベートで飲みに行ける友達が少なすぎる!

「家族と過ごすのが一番楽しい」なんて、家族想いな夫。飲み代のかからない何とも堅実な夫。そういわれればそうなんだけど…

 

それでもって、逆に、結婚適齢期な20代の会社の男の子が、「週末は友達と遊ぶのが楽しい」「会社の飲み会より、だんぜん友達と飲む方が楽しいですよ」(って、忘年会で一緒に飲んでる私に面と向かって言うな~!)「友達が、友達が」っていうとその時代に友達少なかった私にはなんか、ひがみもあって、まぁ、友達がいるって良いけど、それより恋愛しろ~、友達友達って、いつまでも学生みたいに友達とつるんでるのもほどほどにしたら~?なんて、内心気に食わないのだ。

どっちなんじゃい、私こそ。男にいちゃもんつけたがるだけのオンナみたいになってる…気もするが・・・

 

友達が少ない夫、誰か近所で夫の良きお友達になってくれる方ができないかな~なんて、心配するこの妻は過保護かしら!?

わたしがプロの物書きになれない理由

食品関係の仕事をはじめてもうすぐ1年になる。作家になるのが夢だ、なんて夫や少数の友人に話したこともあったし(恥ずかしいことだぁ)、実際に小説も何作か書いて新人賞に応募もした。絵本も制作し、国内外の出版社に送りつけ、行動を起こしていたことは認める。

けれど、今の仕事をはじめてから、仕事のことばかり考えている。仕事が充実しているから、それはそれでいいかな、と思いつつも、

そんなことばっかりしていて、書くことから離れてしまっているなぁ、という常に宿題が頭のどこかにおいてある感覚はある。

絵本を出版したいという情熱もあった。自信作に出版社の方からコメントいただけたときは感激と同時に、想定外の苦い批評に、意味が分からない!とがっかりすることもあった。

けれど、その作品を書いてよかった、と心が満たされるというか腑に落ちることができたことがあった。

娘が小学1年生になり、初めて娘のクラスに絵本の読み聞かせ活動に行くことになり、娘から「ママが書いた『レーズンのおはなしの本を読んでほしい」とリクエストがあったのだ。そう、その作品というのは、娘をモデルにして書いた絵本で、レーズンが大好きな女の子が色んな動物に会ってレーズンをあげていくが・・・というお話。

皆の前で読んでほしい、というのだ。

当日、わたしは27人の1年生の子ども達の前で「この本は、うちの〇〇〇ちゃんをモデルにして書いたお話で、おうち以外の皆の前で読むのははじめてだから緊張するけれど、楽しんでもらえたら嬉しいな」と読み始めた。

内心、心はそわそわしつつ、思い切って声に出して読み聞かせる。その合間に、ちらっと娘を見ると、一番前の真ん中に体育座りをして目を輝かせて何とも嬉しそうな表情で絵本を見入っている。その顔を見て、わたしは”作品を世に出したい”とい願望ばかりあったけれど、この作品は世の中には出ていけなかったけれど、娘が喜んでくれただけで、彼女にとってのお気に入りの絵本になってくれているという幸せをかみしめることができた。

あの幸せそうな娘の表情は一生忘れないだろう。

 

そして、仕事へのバランスをとっていくとも必要だな、と気づき始めたこの頃。家庭と仕事以外に、やりたいこと、これまでライフワークにしていたこと(=書くこと)、チャレンジしたいことは迷わずやってみよう、と思うようになり、ちょうどそんなタイミングで、編集関係の活動メンバー募集とか、文芸雑誌の作品、原稿募集というものが目につくようになって、気になってきた。

メンバー募集は応募フォームに”ご自身が書かれているブログがあればURLを教えてください”という項目が…しまった!かなりの期間、更新していない。そこで、わたしは、このブログの執筆ももっとコンスタントに書いていけたらいいんだろうな、と決意新たにしたわけだが・・・

 

書きたいことは思いつくのに、毎晩、結局寝ることの方を優先してしまい、寝る前に、朝はやく起きて執筆しよう、と頭の中では予定を立てるが、ぎりぎりまで起きれない。しょせん、ブログだし、自己満足の世界だし…と言い訳している自分。

寝ること、眠いことのほうを優先しているぐうたらなのがわたしだから、プロの「物書き」になれるわけがない。

そして、今ベッドの上に座り、羽毛布団にぬくぬくしながらこのノートパソコンを叩いている。布団があったかくて、眠くなってきた・・・

眞子様の幸せの行方を祈る

眞子様が婚約されていた小室圭さんは渡米し、現在国際弁護士になるべく留学中とのこと。小室さんのお母様の金銭関係の問題から解決するまで結婚が延期となり、眞子様は現在、日本で公務にあたりながら、今後の行方にどんなお気持ちで過ごされているのだろうか。

若いお二人の婚約会見をテレビで観たときは、眞子様のような方と交際するのは、相手の男性の方も相当の覚悟があったかと思うからすごいなぁと感心したし、お互いとてもさわやかで恋愛中の微笑ましい雰囲気が伝わってきて、一般国民のひとりとして、幸せになってほしいなぁと思ったものだった。はやく結婚してしまえばいいのに、天皇陛下のご退位などのスケジュールに合わせてというところも、さすが皇室のご結婚というのは、なかなか準備に時間がかかるものだとそれくらいにしか思ってもみなかった。

 

それで、その後のスキャンダルから…あまり、こういうゴシップネタに疎かったわたしは、とにかく愛し合ってるふたりなのだから、結婚させてやんなさいよ~くらいにしかとらえてなかったのだが、友人(主婦友)とカフェでお茶してる時に、友人が言った。

「あのさ、小室さんがメディアにコメント出したじゃない?あれを見てもだけど、最初は、私も応援してたのよ。でもね、報道で彼のことを知っていくうちに、難しいなって。国民に祝福されない結婚なんてどうなのって思う。そもそも、定職についてないでよくプロポーズしたなって思うもん」とバッサリ批判的。

「定職ついてないったって、弁護士の資格とるんじゃないの?弁護士事務所に勤めてるんでしょ?」

「弁護士になれるかもわからないよ。それに、このタイミングでアメリカに留学だなんて、変。ちゃんと眞子さまを養って幸せにできるのかな。持参金目当てって言われてもしょうがないし」

と言うのを聞いて、あ、これって、ヘンリー・ジェイムズの『ワシントン・スクエア』に設定が似てる!ということに気づいた。

ワシントン・スクエア (岩波文庫)

 

医者の父と裕福に暮らすキャサリンは内向な性格若い女性。そんなキャサリンの前にイケメンの男性が現れて、求婚される。しかし、彼は無職で求職中。自分でビジネスを立ち上げるつもりだともいったりするが、言っているだけで、なかなか職に就かず、そんなだらしのない男との結婚に父は絶対結婚を認めない。父に認められない結婚はできないから、父に許し得られるようになったら結婚しましょう、というキャサリンだが、結局結婚は破綻となり、オールドミスになってゆくという物語。

 

わたしは、この『ワシントンスクエア』の話を友人にして、「このまま眞子様がオールドミスにならないことを祈りたいよ」

とだけ言った。

 

小室さんが本当はどんな方でどんな考えを持っているか、眞子様と彼がどいう心境なのかはわかりかねるが、結婚となると、好きだけではだめなのかもね。

それに人は(おとなの社会)、お金が絡むと人間の本質が出る。お金とさわやかに人生を送れるなんて、なかなかそんな大人はいないよ。仕事を持って、ちゃんと勤労してその対価としてお給料をもらって(自分で稼いで)身の丈にあった生活をする。

そう、「身の丈」を改めて大切にしたいものだ、と自分自身に言い聞かせた。

 

 

同じ82年生まれの女性として part2

82年生まれの女性というと、今年37歳なので(年齢完全に公開してしまった…笑)、同い年という親近感もあって、毎週金曜日の深夜11時45分からBSプレミアムで放送している「This is us 2」は本当に毎週楽しみにしている。

もともと、わたしはアメリカかぶれなので、昔からアメリカのドラマや映画、音楽は私の人生の中で欠かせないものなのだ。

日本での現実的な生活からの想像的逃亡というところでは、アメリカものはもってこいよね。

 

それで、この「This is Us 」は本当によくできているなぁ、と感心するのだ。

母親のレベッカ役を演じるマンディ・ムーアは30代、40代、50代、60代を見事に特殊メイクも施しながらも自然な演技をしていて(ネット情報ですが…)とにかく人間味あふれるチャーミングな女性で(レベッカが)魅力的なのだ。人間臭いまでに、子ども達とありのままの本音をぶつけ合うこともあるし、逆に本音を隠しながら悩んでいる姿も何もかも。

そして、子育てをしているわたしとしては、自分の将来と子ども達の未来を重ね合わせてこのストーリーにのめりこんでしまう。

 

そして、何より、主役の三つ子のきょうだい、ケイト、ランダル、ケヴィンの37歳の人生を見ていて、彼らの人生は、まだまだこれからなんだ、(ランダルはだいぶ落ち着いてるけれど)成長過渡期なんだというのを感じる。なんていうか、37歳って、実はまだ精神的には実は、成熟しきっていない若い年齢なのかな、と。

私なんか、だいぶ精神的にはおばさんになったなぁ、なんて思う時があるけれど、彼らはそう思っていないんだろうな、って。

そういえば、こんなことを言ったら、失礼なのかもしれないけれど、イギリス王室ではヘンリー王子と結婚したメーガン妃は、これまたわたしと同い歳(学年が同じ)。昨年の結婚式の時の眩しいばかりの輝きっぷりに、わたしは溜め息すら出た。同じ歳だけれど、彼女は真っ白なウェディングドレスを着て、王室の一員としてのこれから新しい人生の一歩を踏み出し、ヘンリー王子とラブラブで”ときめいて”いるんだなぁ…と。

年齢って、人それぞれ感じ方もあるし、考え方もあるし、一概に何が若くて、何が年老いてとは言えないものなのかもしれない。

いつまでも若くいたい?それとも?

わたしは、素敵な大人の女性になりたいって思っている。そして、欲を言えば、夫と子ども達にとっては、いつまでも可愛い妻で、可愛いママって言われたい。

 

同じ82年生まれの女性として part1

韓国で『82年生まれ、キム・ジヨン』100万部突破、日本でも完売店続出という韓国小説では異例の世界的ベストセラーとなっているこの小説は、チョ・ナムジュさんという放送作家の女性が書いたという。

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

わたしは、今まで韓国の小説を1冊も読んだことがなかった、というのが、いかに偏っているかということを痛切に反省するのだが...82年生まれって、わたしと同い年なので、とても興味が湧いた。これまで色んな新聞や雑誌の書評にも取り上げられた本作についての最初の印象は、精神病にかかってしまったキム・ジヨンという日本で言う”さとうひろこ”みたいな女性についての話は、ちょっと堅い韓国社会の読みにくい小説なのかな・・・という先入観のもと、同じ歳の近所の国の女性がどう物語になっているのか、ページをめくってみた。

すると… 

自分に投影してしまうところもあり、韓国で生きるジヨンの方がより酷だと同情したり、とにかく読み終わると怒りと立ち上がれアジアのウーマン!とこぶしを挙げたくなるようなエネルギーが湧いてきた。

実は、ブログを書かなきゃと思わせてくれたきっかけをくれたのもこの小説なのだ。

わたしも、自己主張しなきゃ。自己主張しても良い時代になっているし、それがまだまだ韓国でも日本でも女性が自分のキャリアや人生プランを結婚によって犠牲にして、子どもを産んで母となったら、物分かりのよい黒子になるのが美徳という暗黙の社会的風潮には何かしらの疑問を持っていたのも確かだから。

小説の中には、主婦をしてきた9年間で心の中ではモヤモヤ思っていたけど

口にしなかったようなことを代弁してくれているようなことがたくさん出てきて、ひりひりとした切実感と泣けてきそうな憤りに感情が揺さぶられた。

”子どもを産んだというだけで興味や才能まで制限されたような気持ちになってしまう”(P157)

ジヨンは、娘が生まれて主婦になったが、働きたい、と思っていたのだろう。主婦歓迎のアイスクリーム店のアルバイトに応募するかどうか、というのを目にして、興味をもつ。

でも、大学まで出て、広告代理店でやりがいを感じる仕事を持ち、キャリアウーマンで働いてきたのに、子どもを産んで主婦になったら、その先にあるキャリアは、アイスクリームをすくって販売する店員?コンビニやスーパーのレジ打ち?

そんなプライドがある。でも、そんなプライドを口にしてはいけない、だってその仕事をしている人を馬鹿にしているように思われるから。

子どもが生まれても、そういうところでパートをしようと行動している女性こそまずえらいし、そういう仕事を馬鹿にする自分を恥だと思いなさいよ。

世間、そして一般的な女性たちからもそう言われるだろう。

ジヨンと自分を混合させてしまったけれど、そういうことなのだ。ちょっとだけ、話がそれるけれど『赤毛のアン』シリーズを2年前に読んだ時も、似たようなことを内心思ったのだ。あのモンゴメリが書いた名作「アン」シリーズなのだから、そんなことは口にしてはいけない、と認めたくはなかったが、わたしは確かに思った。「あ、女って、母親になると、つまらない存在になるんだ」って。アンは、空想好きで、小説や詩を新聞に発表したり、学校の教師として、校長まで経験したり、その時のアンは突き進む芯のある女性として描かれてたけれど、6人の子供の母となったアンの物語『炉辺荘のアン』になると、アンというタイトルがつけられているが、子ども達エピソードばかりで、アンは執筆もほとんどしなくなり、だいぶ影が薄い存在になっているのだ。

 

キム・ジヨンを読んでから、改めて、私自身が大学時代に専攻していた「社会学」について再考するようになった。著者のチョ・ナムジュさんも大学で社会学科を卒業されているのもあり、彼女の描いたこの小説は極めて社会学的な要素そのものだとも読み取れる。

女性の社会進出、結婚とキャリア、出産とキャリア、などというのは万国共通のテーマなのだが、『キム・ジヨン』の中に描かれる韓国の現代社会って、日本そのもののようでもあるし、韓国社会って、もっとひどいの??とも思ったり。なんのために、一生懸命勉強して、大学行って、夢を持ったのだろう・・・ほんとにとりわけ真面目に社会に出て生きてきた女性ならなおさらキム・ジヨンのように心がどうにかなってしまうこともあるな、たまたまわたしはそれなりに葛藤しながらもそこまでのストレスを感じないでここまでこれたけど、もしもうちょっと真面目すぎる人間だったら、もしかしたら壊れていたかもしれない。

 

韓国で大ベストセラーになっている本書は、もしかしたら現実に韓国社会を変えるような起爆剤のような一冊になるかもしれない。期待をこめて。

 

ブログを公開した理由

昨年からちょこっと書き溜めてきた非公開ブログを勇気を出して全体に公開してみることにしました!

なぜ公開設定にしたか、と言うと…書きたいことがあるのに、非公開で自分のためだけの記録だと怠惰になって、結局書かないで形に残らないままどこかを漂っているか消えてしまう、ということに気づいたから。というのは本当でもあるけれど、表向きなコメントとして。

発信したいのでしょうね。素晴らしい文学作品、映画作品、ミュージシャンに触れたらそこから触発されたことを文章にして、一人でも多くの人に伝えたいのだろう。素晴らしいことだけではなくて、歯に衣着せぬ主張もしたいのだと思う。NGネタなしで(ブログだとどうだろう…笑?)!?それで、邪まなことを想像して、原稿依頼をいただけるような存在になりたい、なんていう欲望があるんですよ。ブログを書く人って、半分はそういう欲がある人だと思うのはわたしだけ、かな??

 

昔、若い時に(今はとてもいい年齢だと自覚してます。30代バンザイ!)ブログを書いた時は、下手に知り合いにブログを紹介して、後々書きづらくなったり、誰も傷つかないように、プライバシーの侵害にならないように、とても神経を使ってよい子ちゃんのブログを書いたり、そんなこともあったなぁ。

全体に公開する、というブログの書き方は、世にあるSNSやらと同じく、気を付けないといけないことはあるけれど。

あくまで個人的な意見であり、考えであり、価値観なのだから、不快なら読みに来なければよいのよ。そう、勝手に目に入ってくるSNSとは違って

このブログの露出度なんか大したことはないのだから。それに、あの時の私と違うのは、皆に好かれたいという願望は減ったのもあるかな。嫌われても別にしょうがないかな~って。無理に嫌われることはしないけれど、世の中には人それぞれ価値観の合う合わないがあるのだから、書く時くらいは自由になりたい、そう思うのです。

ひさしぶりに書いているせいか、「です、ます調」から、軽いつぶやきのような、ちぐはぐな文章になってしまいました。

本当は最近読んだ本とはまっているドラマについてすっごく書きたいネタあるのですが、手始めに軽くウォーミングアップ的なブログ更新からさせていただき、次回へ続く、にします!