かわべそうこのCurious Heart 

Writing about Books, Music,Movies,and Life so on.Everyday life is full of Curiosity!

日本社会におけるセクシュアリティの変容~センセーショナルな過渡期なのか?~

5月29日付の朝日新聞を読んでいたら、経済評論家の勝間和代さんが”同性との交際を発表”という記事が目に入った。

わたしは大学時代、社会学専攻で、セクシュアリティ、同性愛については15年前から学問的にも勉強してきたので、さほど驚くことでもないはずなのだが、勝間さんの公表にはさすがに驚きとショックを受けている。結婚も出産もしてきた女性だったからだろうか。

最近ではLGBTという言葉を新聞で見かけない日はないほど、ようやく日本においても、多様なセクシュアリティを理解しようという動きが出てきているし、勝間氏の恋人はLGBTコンサルタントであり、自らレズビアンであることを公表してきた第一人者的な方だから、二人ともとてもポジティブな気持ちで公表しているように見える。

勝間さんは、”女性を好きになることに蓋をしてきたことに気づいた”とブログにも書いていて、彼女自身も女性の方と実際、恋愛関係になったときに葛藤と驚きがあったとは思う。

わたしが衝撃を受けたのには、大学時代にセクシュアリティについて勉強していたときに、ずっと妻を愛し続けていた初老の男性が、あるとき男性を好きになってしまった、という文献を読んだことがあったのを思い出したからだ。

社会学を学んでいるなら必読書であろう、アンソニー・ギデンズ『親密性の変容』だ。

親密性の変容 

 

そういえば、現在、「おっさんずラブ」というドラマが話題になっているのもそうだけど、”人はだれでも同性愛になる可能性がある。”ということを20代前半に知ったときは、そういうのは欧米の話で、日本のことではない、思いこんでいたが15年経った今、日本社会においても現実味を帯びているという事実に正直、戸惑っている。

あんなに勉強してきて、大学生の時は、そういう人もいるよね、社会学を学んでいるのだから、そういうことに対して理解もしているし、偏見もなかったはずなのに。

でも、そこで考えてみると、戸惑っているのは、おそらく私の価値観というのがわりと固定されてきたからだと思う。

わたし自身は”男と女”の恋愛が好きで、そういう恋愛の先に結婚があり、新しい命が誕生するというのが自然の摂理のように感じている。自分がそういう人生を送っているからだろう。

だから、すんなり同性愛のカップルのことを受け入れる、というか飲み込むことには抵抗を感じている。

だけど、ギデンズの著書によると、昔から、性とは確実なものではないようなのだ。

性について考察することは、私にとってのライフワークのひとつでもある。社会学は大人の学問である、と大学時代の恩師がおっしゃっていたが、まさにその通りで、毎日の生活に社会学が結びついている。

ギデンズの『親密性の変容』は大人になった今読み返すと、学術的で難しいながらも、20歳の頃に靄がかかっていた状態で読んでいたときとは違って、現実味を感じながら読める。

そして、考える。

多様なセクシュアリティを受け入れるのは、たやすいことではない。

今、日本社会はセンセーショナルな過渡期にいるようなそんな気がする。