かわべそうこのCurious Heart 

Writing about Books, Music,Movies,and Life so on.Everyday life is full of Curiosity!

カモミールからの懐かしい記憶

最近、水村美苗の『私小説 from left to right』を読んでいる。

この小説、やたらに長ったらしくて、一旦中断していたのだけれど、数年ぶりに読み直すことに。タイトルにあるように、左から右に読む、珍しく横書き小説。英語と日本語が混ざっていてまた、静かな夜に集中して読書するのにふさわしい一冊だ。過剰な情報と不安な現実から現実逃避したいときとか、現代からタイムスリップしたい素朴さ、またあこがれのアメリカへ想いを馳せるひとときを楽しんでいる。

英語の会話が豊富なので、英語の勉強にもうってつけだ。

実は私好みのなかなかほかにはお目にかかれない小説なのだ。

私小説―from left to right (ちくま文庫)

 

夜ベッドサイドで読んでいたら、こんな小節があった。

主人公美苗のもとに、急に数年ぶりにクラスメイトだったアメリカ人のRebeccaが泊まりに来たときのシーン。

 

”寝る前に興奮するといけないというので、私の出したcamomileの煎じ茶を飲みながら…” 

 

わたしは、そのとき、ふと妊娠中のつわりがひどかった時に、母が電車で一時間かけてわたしのもとに来てくれて、カフェイン入っていない温かいカモミールティが体にいい、って聞いて持ってきた、と言って出してくれたことを思い出した。正直なところ、つわりでそもそも一日中気持ち悪かったのもあって、その飲みなれないハーブティをとても美味しいとは思えなかった。ただ、カモミールは人をいたわる象徴でもあるのはたしか。

カモミールの思い出は、もう何年前のことだろう…息子の時だったのか、その次の娘の時のことだったかも覚えていない。おなかに赤ちゃんがいたころは、遠い昔の出来事になっている。

 

今、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るっていて、私も子供たちと外出自粛の日々。でも、あの時、妊娠していた時もわたしは家にこもるような生活をしていた。仕事も辞めておなかの赤ちゃんと自分の体のために家にいて、散歩すらつわりで具合が悪くつらかったあの日、そして悶々、鬱々としていた暗いトンネルのような生活だった。

 

そう思うと、この新型コロナウイルスは怖いし、世界中が大変な状況ではあるけれど、今の外出自粛生活なんぞ、心身が健やかであればむしろつわりのあの時より快適だ。3食作って、家事をして、犬の散歩、子供達の勉強を見てあげて、仕事も在宅勤務でそこそこしかできないけどとりあえずやれることをやるとあっという間に一日は終わり、せかせかすることもない毎日なので、こういう後回しした長い小説を読むこともできるし、クロスステッチにも取り組んだり、洋書で英語のブラッシュアップ、ついでにyu tube で素敵なヨガインストラクターを見つけて、毎朝ヨガもするように。

2か月過ぎて慣れてきたというところか。

 

何はともあれ、カモミールに頼ることもなく、健やかに毎日過ごせることに感謝。

 

 

 

 

 

思いがけず志村けんさんが~映画『鉄道員(ぽっぽや)』~

コロナウイルス感染拡大、緊急事態宣言発令により、さらに外出自粛の日々始まった。不安で気が滅入りそうだし、一日中新型コロナのことが気になり情報が入りすぎるとそれも疲れるしで、こんな時だから、まぁ、録りためていた録画番組を観るのもいいな、と思い、何年も前にテレビ放送していた高倉健主演『鉄道員』を今更ながら、初めて観た。子供達が寝た後、一人で。

もともと、邦画よりも洋画が好きだったので、この『鉄道員』も大きい声では言えないが、38歳にして初めて観たのだ。制服姿の広末涼子が好演しているというのはもちろん知っていたが、なぜか食わず嫌いで…録画したのは、高倉健さんが亡くなり、追悼特集で高倉健さん映画が放送されていた時のこと。だから、高倉健さん懐かしいな、この昭和の北海道の雰囲気がなんだかノスタルジックでいいな、大竹しのぶさんも若いのか今と変わらないから若くないのかよくわからないところがこれまたノスタルジック、あ、田中好子さんももう天国に行ってしまったなぁ、懐かしいなぁ、と思って観ていたら、急に炭鉱で働く労働者が飲んでいて居酒屋でケンカを始める、という場面で、その労働者が志村けんさんだったものだから、なんという時期にこの『鉄道員』を観てしまったのだろう、と一層しんみりと切ない気持ちになった。

 

高倉健さん、田中好子さん、そして志村けんさんが、”生前の俳優”として出ている映画、という映画を4月7日に観た。

 

今日一日家族みんなが無事、元気で過ごせただけでよかった、と一日の終わりに、ふとそんなふうに思うくらいの日々が日常になってしまっている。

お会いしてみたい作家~柚木麻子と山内マリコ~

今、日本にはすごい才能の女性作家がたくさんいる。昔は、夏目漱石太宰治芥川龍之介など男性作家が台頭し、女性作家といえば樋口一葉だとかちょっとしかいなかった。そもそも男性作家でも、今挙げたような文豪というのはたしかに文豪だけど、小説を書いて生活できたのは一握りの人だったというのもある。

 

それに比べると、今の時代は、女性作家の発信力がエネルギッシュで彼女達の作品を読むと、あ、もうわたしが書く必要もないかもって正直思うことがある。彼女達の作品をは、様々な人生における葛藤の叫びを代弁してくれているし、それ以上に小説の世界がぶっ飛んでいて、あふれるリアリティと想像力の豊かさに、音楽で例えるなら”ロック”を聴いてがーんと頭殴られたような衝撃を受けるのだ。

 

わたしも、昔から”歯に衣着せぬ”感じの発言が気持ちいい、と人に褒められたことがあるけれど、あたしなんか足元にも及びません、と全力謙遜したくなるのが、柚木麻子さんと山内マリコさん。このお二方の小説を立て続けに読んだが、とにかくすごいさらけ出しっぷりに感嘆のため息が出た。

 

奥様はクレイジーフルーツ (文春文庫)

柚木麻子の小説はどれも大好きなんだけど、夫婦のセックスレスについて書かれたこの小説は、超絶ぶっ飛んでいた。わたしも、ママ友とかと話すときは、NGネタはないよ、というのが自慢なくらい夜の質問も答えられるくらい得意だけど、柚木先生にはかないませんでした。この「奥様はクレージーフルーツ」は夫婦関係の赤裸々さが小説という形として、見事にエンターテイメント化され面白かった!こんな小説は私にはとても描けない。でも、嫌らしさが全くなくて、セックスがこんなに明るく描かれていて、読後はさわやか。そこがとてもいいのだ。

 

あのこは貴族 (集英社文庫)

そして、山内マリコ『あの子は貴族』このタイトル!憎い!私も”前世は貴族だったと思うの”というセリフを言うような主人公の小説を書こうとして書き上げていなかったけど、完全に先越されたわ。しかも、完全に見事なくらい日本にいるふわふわした富裕層(ブルジョワ)の子供達(大人になっても)の鈍感さを言い表していて、歯に衣着せぬどころか、そうそう、それ!なんか違和感を感じながら付き合ってきた裕福な彼女達に対するイラっと感、なるほど、と妙に納得してすごく自分の中にすとんと腑に落ちた。それに、一人のそういう”ふわふわした”女性の成長と苦悩を描いているから自分の周りの人間関係に重ねて、ああ、こういうふうに客観視してみるとどんな人のことも認められるような寛大な自分になれそうって新たな発見までできた。

 

柚木麻子さん、山内マリコさん、わたしと同世代だと思うけど、もう大尊敬です。

そんなお二方にお会いできるようなトークイベントないかとネット検索したら、けっこうお二人揃ってやられていたようで。さすがだわ…

彼女達の脳みそはどうなっているんだろう、すごいアドレナリン出まくっているんだろうな、と予想する。すごい女性作家が日本にはたくさんいる。誇りでもあり、その中で生き残っていくのも大変なのだろうな、とこれから小説家デビューしたい方には厳しい時代でもあるなぁとつくづく思うのであった。

 

 

友人からの手紙と洋書

新型コロナウイルスの問題で、落ち着かない不安な日々ではあるけれど、今週わたしにはうれしいこともあった。

 

大阪に住む10年来の友人が、おすすめの洋書2冊にお手紙を添えて送ってくれたのだ。お正月明けに、彼女から年始の挨拶のなかで、シングルマザーになった、との近況報告があったので、驚きはしたのだが、久しぶりにメッセンジャーで連絡を取り合い、わたしは仕事で取り扱っているおすすめのお菓子にメッセンジャーでは伝えきれなかった自分の近況を手紙にしたため、贈った。余計なことを書いてしまったかな、とか色々後で不安になりながらも。

すると彼女は、おすすめの洋書を2冊をぽんと送ってくれたのだ。その洋書は、リンドグレーンの「長靴下のピッピ」とロナウド・ダールの「マチルダは小さな天才」。なんて素敵な2冊なのでしょう!彼女と私は、文学友達でもあり、おすすめの本を紹介しあう仲ではあったのだが、英語関連の仕事をしている彼女は本当に英語が堪能らしく、洋書ソムリエといってもいいくらいいつもドンピシャでわたしの嗜好にあう本を教えてくれるのだった。

ここ最近英語から離れてたから、この2冊なら日本語訳で読んだこともあるし、英語もわかりやすく上質。「ブランクがあるから読破できるよう頑張る」と伝えると、「Audio Bookで聴きながら読むのがおすすめだよ!youtubeであったらラッキーだから探してみてね」とアドバイスまで。俄然、読みたい気持ちが湧いてきた!

 

そして、友人からの手書きのお手紙が本当にうれしかった。わたしの書いた手紙について「手書きといいのもあってすごくパワーをもらいました。じわーってくるの。何回も読んでしまう。こんな長いことご無沙汰してても、あらためてこの友情という縁に感謝しています」と言ってもらえて、わたしはやっぱり手書きの手紙って、文章を直したりするのがない分、そのままの自然体というのが表れて、相手に届くんだな、と思った。

 

かわいいレターセットやカード、そういうのを選ぶ過程も想像すると書く方ももらう方もうれしい。

 

中には、手書きの手紙は手間がかかるし、その手間がめんどくさいって思う人もいるかもしれない。メールやSNSの方が気軽にメッセージ贈れていいっていう人も。

それも一理あり。

 

けれど、わたしは、子供のころの時みたいに、アナログなハンドライティングの文通をしたいなぁ、と思い始めた。なつかしさとロマンを感じるのだ。

 

素敵な洋書とお手紙を眺めて一週間振り返り、ほっこり嬉しい気持ちになった。

ラブラドールは賢いはず~映画『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』から~

右も左もコロナウイルス感染拡大のことで、毎日なんだか落ち着かず不安を抱えていると思いますが…皆様お元気ですか?

 

私も、今週は行く予定だったコンサートがたまたま2公演あったのがどちらも中止、延期となり、おとなしく在宅勤務、休校になってしまった小学生の子供達を見ております。自分も疲れから免疫力低下してウイルス感染しないよう、まずは健康に気を付けて過ごしたいです。

 

さて、そんなこんなで、子供達が退屈にならないようにTSUTAYAでDVDを借りてきたりしてたのですが、その中の一つが『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』。ジェニファー・アニストンがチャーミングなのだが、ブラッド・ピッドとそういえば昔結婚していたな、という記憶はかなり過去のもの。

そんな余談は良いとして・・・


《予告編》 マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと

 

1月から我が家にもラブラドールの子犬を迎え入れたこともあり、絶賛愛犬を溺愛中。というわけで、マーリーって、まさにラブラドールじゃないの!!と借りてきた。

子犬のころのマーリーが、うちの犬にそっくりで、かわいい~!と最初は、げらげら笑いながら見てましたが、マーリーはほんとハチャメチャにやんちゃで、びっくり。

我が家のラブラドール君は、とってもおとなしくてお利口だし、こたつでぽかぽか昼寝するのが好きなので、真逆なタイプ。

マーリーはしつけ教室に行っても暴れまわるので退学処分になってしまうけど、ラブラドールって本来はとっても賢くて落ち着いているのではないかと目を疑ってしまったわ。

 

映画の中の、パパさんは新聞記者。ジェニファー・アニストンも元記者(コラム担当)で、シカゴから暖かい街に引っ越して別の新聞社に転職し、そこで記事ではなく、コラムを担当することに。犬のことをコラムに書いたら、人気が出て随分長いこと連載が続く、という設定。

これを見て、わたしもまぁ、犬との生活を描いても何が面白いのかわからないけれど、世の中にはこういうコラムを面白がってくれる人がいるのか、ということに驚いた。そして、この映画自体、そんなありきたりなこの記者の自伝的ストーリーなのに、映画化されて世界中で愛されている(続編もできているくらいなので)。

確かに、犬との生活は人の心を豊かにしてくれる(と同時に、私のように食欲旺盛な大型犬を飼ったがために、犬の餌代稼ぎのためにせっせと仕事をしている人もいる…苦笑)

そうだ、わたしも書こう。感じたことを書いてみよう。それはきっと自分に何か気づきを得られるだろう。

そう思って、今日は久しぶりにブログを更新してみましたとさ。

 

近々、我が家の愛犬の写真もお披露目するかも?

カニグスバーグ『800番への旅』最高!

カニグスバーグ作品にはいつも感嘆せざるを得ない。
アメリカには、こんなユーモアあふれ、さらにウィットに富み、後半には思わぬサプライズに感動させられる小説を書き続ける作家がいるのかと、わたしはこの歳になってカニグスバーグ夫人に心酔している。読み応えがあって、読者を裏切らない作品を読みたくなったら間違いなく私は彼女の小説を読むことにするだろう。

800番への旅 (岩波少年文庫)

今回読んだ『800番への旅』もだけど、主人公は12歳ということが結構多くて、彼女も子どもを卒業する難しい年頃の子ども達にむけての物語を書きたいと語っていたらしいが、わたしは大人になった今だからこそ、彼女の作品のすばらしさを100%体感できていると思っている。

お父さんがラクダを飼っていて、ラクダと全米を旅して生活している!?だなんて、誰がそんな想定のお話思いつけるでしょうか!!というところから始まり、12歳のお年頃のアメリカ人の男の子の思考回路は日本人にはない感覚に楽しませてもらえるし、アメリカ的会話が私はたまらなく、小説を読むうえで好き。


800番と言うのが、日本で言うフリーダイヤル0120のことで、その電話オペレーターの仕事をしていたら、どんなことが起こる?という想像力。確かに、誰でもない自分から、誰かになりたい、誰にでもなれる
色んな考え方ができるってなわけで、この本を読んだ後に、上質なコーヒー豆の通販チラシを見て「電話0120-〇〇…24時間受付中」と書いてあるのを見て、どんな人が電話応対しているのかな??と
気になり一つの商品を購入する先にどんな世界があるのか、ということを想像すると全ての物が愛おしく有難く思えてきたりした。

なかなか仕事やら家の事が忙しくて本を読む時間をとる前に、寝てしまうことが多い今日この頃だけれど今年も素晴らしい文学作品と一冊でも多く出逢いたい!

決別したはずの『VERY』を買ってまでして読んだ私

5年くらいも前の話だが、30代前半でイケてる主婦に憧れてた私は、セレブ主婦向けの絶大人気女性誌『VERY』を読んで、自分と比較しなんか落ち込んだり、モヤモヤとした気持ちになり、こんな雑誌は読むものではない!と当時書いていたブログに鼻高々に「決別する」と宣言したのだった。

当時から、カバーモデルだったのは、カリスマ主婦モデルの滝沢眞規子さん。容姿端麗、スタイル抜群、超豪邸に住み、お料理も上手、家事もできすぎでお部屋もピカピカのタキマキさんのブログ(その時はまだインスタではなかった)をなぜか憧れだが怖いもの見たさなのかよくわからなかったが、夜な夜な見て、溜め息をついてた、みたいなことしてた私は、自分は何をしているのだろうか…とあきれて、そうか、これは私が読むべき雑誌ではない、いきつけの美容師さんにその話をすると「VERYは、読むものではなく出るもの(載るもの)だと思う」という発言に異様に納得し、衝撃を受け、決別したのだった。

 

が、ここにきて、あのタキマキさんがついに長きに活躍してきたVERYを卒業する、という号を衝動買いしてしまった。気になってしまう存在だったのだろう。どこか、彼女のようになれたらいいのに、なんて思ったりしてたのだろう。だって、本当に10年前から全然変わらぬ美しさを保っていて、子育てにも一生懸命、でもちょっと考え方は、うん、そういう発言してしまうのは、無垢で浅はかな可憐なセレブなのよね、というところも含めて、魅力的な女性だと思ってたから。彼女の最後の特集は見たいと思っちゃったわけですよ。

VERY(ヴェリィ) 2019年12月号 [雑誌]

しかも、あの小島慶子さんのやたらに文章量が半端ないエッセイも最終回だったから、気になった。これは、読み応えあって、小島さんが支持される理由が詰まっている、発信者としての彼女の想いが詰まったエッセイであった。勝手に、文芸評論家風な事を言うと、彼女の文章は、英語的である。早口の英語風な日本語(完全に完璧な日本語ですが、文章のテンポ英語なのだ)で、自身の主張を情熱的にインテリに伝える彼女のエッセイは、かなりエネルギッシュなものだった。時にそれが読者に対して、良い刺激を与え、時に運動した後の息切れを起こすかのような疲労を与えので、体調がよく心に余裕があるときに読むのをおすすめしたい。

 

ほかの雑誌で、ある知識人がこの『VERY』な女性たちは、”過活動症候群だ”と言っていた。なるほど・・・と妙に納得した記憶がある。

頑張り屋で頑張った結果が表にちゃんと出る女性がキラキラと活躍しているのが、この『VERY』なのだ。

 

でも、滝沢眞規子さんのこの最終号を見て、彼女が”お弁当作りは朝4:45から。今しかできないことだから”というのを見て、ひょーと驚愕しつつも旦那さんが「がんばりすぎ、そこまでやらなくてもいいとは思うんですけどね」と言ってくれるところ。そして、彼女が”主婦業が大好き”だからという根本的な軸があるというところに、わたしは素直に、「あ、好きだと思って家事や子育てをするといいよね」と心が洗われた気がした。

見習いたいな~、そういう気持ちで家事をしてたら、家事も苦痛じゃないもの。

 それにしても、雑誌で冬のコーディネートを見ていていつも思うのは、素足にパンプスのコーデは、脚が寒すぎ!実際にそういうスタイルの女性がけど、くるぶしから足元をあんなに冷やしたら健康によくないよぉ!!